印象に残ったオノマトペ語句の10語目です。
「みんなあくせく勉強してさあ、なあおセキ、高校に行って、大学に行って、それから就職して、嫁さんもらって、子供ができて、停年になって、ぼやぼやしているうちに、年を取って、脳溢血か癌で死んじまうんだろ」
三浦綾子『裁きの家』[三十四]
この語句は、今のところ(収録している18作品で)、『氷点』『道ありき』『積木の箱』で使われています。『氷点』での場面も印象的です。
(いったい、何のためにアクセクとおれは働いているのだろう)
三浦綾子『氷点』[雨のあと]
『裁きの家』の「あくせく」も『氷点』の「アクセク」も、根っこはいっしょのような気がしますね。
『氷点』の「アクセク」は、啓造の独白なんです。夏枝に対して怒りが湧き、その後、疲労感が襲ってきた、そういう場面です。
『裁きの家』の「あくせく」は、中学生の弘二が同級生の関子に話しているセリフですので、啓造のような自分ごととしての実感があるわけではなく、「そう見えている」という実感なのだろうと思います。
けれどもやっぱり、「何のために?」というところが共通点ですよね。
あるいは、「誰のために?」ということかもしれません。
「何のために?」は自分の生き方の問いのように見え、
「誰のために?」は人間関係の問いのように見えます。
違う領域のように見えるのですが、おそらく、
三浦綾子さんにとっては(彼女のフレームワークとしては)、自分の生き方と、誰のためにというのは結構密接につながっていて、切り離せないのではないか?とも思いました。
現在の私であれば、「自分は自分でいいんじゃない?」と思えますが、
思考の土台というのは厄介なもので、そうそう簡単には切り離せるものではありません。
人との関わりなくして、自分の人生はないのだと、そういう考え方が身についているのでしょう。
それらは、作品執筆においても、相当の影響を及ぼすのではないでしょうか。
それが、これらのセリフにもにじみ出てくるのだと思います。
実際、今日の講義(道新文化センター)で『石の森』を取り上げたのですが、その場面の中にこんな言葉がありました。
生きるということは、人と関わりを持つことだ。人と関わりを持つということは、誤解したり誤解されたり──
三浦綾子『石の森』[第十一章 木々の墓]
全編一人称で書かれたこの作品は、主人公は二十歳の女性ですが、三浦綾子さんの心情が垣間見えるような、結構自由な文体で書かれた物語です。思春期の、心が激しく揺れ動き、自己を確立しようとする大きなうねりが描かれ、執筆当時50歳を少し過ぎた頃の綾子さんの、彼女自身の回想などが盛り込まれたような心象風景は一読に値します。
独りでいる時間を持つために旅に出た主人公が、独りになって考えることは、自分ではない、他の誰かのこと。完全に独りでいることなどできないのだ、と言わんばかりの書きぶりで、読者を翻弄します。
「あくせく」という語句は、そんな、自分の生き方をあぶり出してくれる言葉でもあったのですね。
興味深いのが、自伝小説『道ありき』の「あくせく」は、あくせく「しなくなった」という書き方だということです。
どんなにわたしが彼を愛していたところで、神がわたしに彼を与えてくださらないのなら、それもまた仕方のないことだと思った。この頃からわたしは「必要なものは必ず神が与え給う。与えられないのは、不必要だという証拠である」と信ずるようになって行った。わたしは以前ほどあくせくしなくなった。
三浦綾子『道ありき』[五〇]
ということは、三浦綾子さん(当時は堀田さん)は、相当にあくせくする人だったということですね。
私も、相当あくせくする性質なので、気持ちはよく分かります。
あくせくする側の心情がリアルに描かれていて、なるほどと思います。
この「あくせく」は、どちらかというと、「誰かのために」というよりは、自分の気持ちにウエイトが置かれている書き方ですね。
ここでいう「彼」とは、結婚前の三浦光世のことです。彼を意識している自分に気づき、彼との関係性をはっきりさせたい、いや、自分の中での気持ちや覚悟というものをきっちりしたい、そんな思いが見て取れます。
その気持ちに忠実に、行動を起こしたり、距離を詰めたり、そういうことをしたくなる「あくせく」を手放した、そういう心境を描いているのですね。
ということは、同じ「あくせく」でも、自分の気持ちに忠実である「あくせく」から、
「誰かのために」とか、「人と関わる」ことの「あくせく」に軸足が移っていったと、
そういう見方ができるのかもしれません。
その「あくせく」を否定してみせる啓造や弘二のことを、綾子さんはどのような役割を持たせようとして描いたのか、そのあたりが文学のおもしろいところです。
最近(昨年の秋頃からかな?)、見本林を訪れる観光客が増えてきました。
その多くが外国の方です。こんなことってあるんだなあと、不思議な感じがします。
では、また。
難波真実
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